友達が一人、妊娠した。
それは去年の夏のことだった。
彼女は産む決意をした。
きっといろいろ悩んだと思う。自分の人生も、これからの生き方も、家族も全部巻き込んで。
その彼女も、一度は悩んだ。検査チェッカーで陽性と出た瞬間、二時間はトイレからでてこれなかったみたいだ。。。泣いて、泣いて、泣いたみたいだ。
そんな彼女が先週、ママになった。一児のママ。
その目は、たくましく 母親の強さがみえた。
一昨日、私の八年来の親友から電話がきた。
彼女も、
妊娠が発覚。、
どうして?みんな、どうしてそんなに先走っちゃうの?
性行為が、あたりまえになってきて、低年齢化が叫ばれてる中だが、やはり みんなどこかで無責任なんじゃないだろうか。
赤ちゃんはペットとはちがう。たまごっちともちがう。
私たちが今、こうして生きているように 一人の人間の人生を生み出すということだ。先80年をかけた、とてもとても責任重大なのだ。
産みたいから 産む
のは、どこか自分勝手な気がするのは私だけでしょうか。
私はまだまだ 彼女に「自分」を生きてほしい。
もっとたくさんのものを見て、経験して、人と出会って、刺激されて 人としてもっと成長してもらいたいよ。まだまだ私たちは のびれる。まだまだ吸収できる。まだ発達段階。
それなのに、すべてを捨てないで。
まだ 自分すら成長しきれてないの、まだまだ 見切れてない。経験し切れてない。出会いきれてない。
だから、ちゃんと考えてほしい。
産みたい気持ちはわかるよ。でもね、
その出産を心から「おめでとう」とは誰も言ってくれない。誰からも祝されないで、妥協して 産まれてくる子は、とてもとても可哀想なんじゃないか。
おねがい、今 自分を見つめなおす機会として、一度立ち止まってほしい。
方向転換は 360°可能だから。